鬼滅の刃考察 強い鬼になるのが強い人間とは必ずしも限らない件
上弦の鬼たちの中で黒死牟と猗窩座は人間だった時から強かったが…
上弦の鬼たちの中で人間だった頃から強かったのは、黒死牟と猗窩座くらいでしょうかね?
妓夫太郎と堕姫が倒された後、上弦の陸となっていた獪岳も雷の呼吸の継承者になっていたわけですから、人間だった頃から強いと言えば強かったのかもしれませんが…
鬼殺隊で柱になっていたわけではありませんし、雷の呼吸の基本である壱の型が会得できず、我妻善逸とともに雷の呼吸の継承者になっていたわけですから、その強さは微妙なものですよね!?
上弦の鬼となった者たちの人間だった頃
人間だった頃から強かったことがわかっている黒死牟と猗窩座、そして獪岳以外の上弦の鬼たちの人間だった頃はといいますと…
・上弦の弐・童磨=万世極楽教の教祖の子として生まれ、人間らしい感情が欠落したまま教祖となり、二十歳の時に鬼舞辻無惨に鬼にされた(鬼滅の刃19巻 第163話)
・上弦の肆・半天狗=被害者意識に凝り固まった超絶身勝手な嘘つきで、妻や子がいたことが何度かあったが、虚言癖や不誠実を責められ、妻や子の命を奪う事を繰り返していた(鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録・弐 156ページ)
・上弦の伍・玉壺=漁村の外れに住み、魚の死骸を集めるなど変なことばかりしていたが、自分のことをからかった子供の命を奪い、その子の親に串刺しにされて半日経っても絶命しないでいたところで鬼舞辻無惨に鬼にされた(鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録・弐 158ページ)
・上弦の陸・妓夫太郎&堕姫=遊郭で取り立て屋の仕事をしていた妓夫太郎は、遊郭の客の目玉を簪で突き、その報復で生きたまま焼かれた梅を抱えていたところで童磨に出会った(鬼滅の刃11巻 第96話)
・新・上弦の肆・鳴女=琵琶を演奏して日銭を稼いでいたが、夫の命を奪った後の演奏を称賛されて以降、人の命を奪ってから琵琶を演奏するようになり、鬼舞辻無惨の命を狙い、返り討ちに遭った(鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録・弐 152ページ)
などといったいったところになります。
鬼になる前から人間の命を奪っている者が多いですが… 人間だった頃の彼らは、後に上弦の鬼になることが想像できるほどに傑出した身体能力、武力を持っていたわけではありませんね!
ですから… 強い鬼になるのが、強い人間というわけでは必ずしもないということになりそうですよね?
強い人間だけでなく、異常な性格の者、人間として破綻している者も強い鬼になる!?
そもそも鬼舞辻無惨が強い人間ではなかったし…
そもそも鬼の始祖であり、最強の鬼であった鬼舞辻無惨が、強い人間だったわけではなく、生まれつき病弱で二十歳まで生きられないと言われていたわけですから…(鬼滅の刃15巻 第127話)
強い鬼になるのが強い人間とは限らないというのは、当たり前の話なのかもしれませんね!
強い鬼になった者たちの共通点は何か?
人間時代に強くはなかったのに強い鬼になった者たちの人間時代を改めて見てみますと…
平穏・平凡な人生を送っていた者、ごく普通の人間と言えるような者は、一人としていませんね!
感情が欠落していた童磨、被害者意識の塊の半天狗、偏執狂の玉壺などなどノーマルには程遠いアブノーマルな輩ばかりですが…
さして武の力が優れていたわけでもなかった彼らが、上弦の鬼になれたという事は、異常な性格の者、人間として破綻している者の方が、強い鬼になりやすいということになりそうです!
強い鬼になるためには、ある種の精神的なパワーが必要であり、異常な性格の者、人間として破綻している者の方が、そのパワーが強いということなのでしょうかね?
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※この記事は集英社刊ジャンプコミックス・吾峠呼世晴著「鬼滅の刃」1~23巻、「鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録」、「鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録・弐」などを資料にしています。
本文中( )内に鬼滅の刃○巻 第○話とある場合は該当巻・該当話を参照したことを意味します。