ジョジョの奇妙な冒険考察 吉良吉影が川尻浩作として生活できていた件
顔を奪った川尻浩作になりすまして生活していた吉良吉影
吉良吉影は辻彩の「シンデレラ」によって川尻浩作の顔を手に入れた後、仗助たちとの戦いの途中で絶命するまで、ずっと川尻浩作になりすましていました。
川尻家では妻・しのぶは、夫・浩作に吉良吉影がなりすましていることに気づくことはありませんでしたが…
息子・早人(はやと)には、父・浩作がと何者かが入れ替わったことに気づいていました。
そして、その早人の活躍が吉良吉影を追い詰めていくことになりました。
川尻浩作の職場では誰も彼がニセモノと気づいていなかった
ですが… 川尻浩作の職場では誰も川尻浩作がニセモノであることに気づいた者はいなかったようです。
吉良吉影は、その顔を奪う前に川尻浩作のことについて調査をしていたわけではありません。
なにしろ素顔も本名も仗助たちに知られてしまったために急遽、自分に背格好や年齢が近い川尻浩作の顔を奪い、彼になりすますことにしたわけですからね。
ですから、川尻浩作が職場でどのような仕事をしているかも、職場でどのような人間関係を築いているのかも…
それどころか上司や同僚の者達の顔も名前も全く何もわかっていない状態でいきなり川尻浩作として振る舞い、仕事をしていかなければならないようになったはずです。
令和の現在のようにテレワークが一般化している時代であっても会社員に他者がなりすますのはかなり難しいだろうと思いますが…
「ジョジョの奇妙な冒険 第四部」の舞台となっている1999年では、それは尚更難しかっただろうと思います。
それにも拘わらず、川尻浩作の職場には川尻早人のように川尻浩作がニセモノであると気づいた者が一人もいなかったわけでしょうが…
それはいったいなぜだったのでしょうかね?
吉良吉影が川尻浩作の職場に溶け込めていた謎について考える
川尻浩作が必要最小限のことしか話さないつまらない人間だったことが幸いしたのか?
川尻浩作のことを彼の妻・しのぶは
「「めし」「フロ」「ネル」の単語しかしゃべらない あのつまらない男」
と心の声で言っていました。(ジョジョの奇妙な冒険39巻 アトム・ハート・ファーザー その⑤)
妻・しのぶにそう思われていた川尻浩作が職場ではペラペラとよく喋る男になっていたとは思えませんから…
おそらく川尻浩作は職場でも必要最小限のことしか話さないような男だったのではないでしょうか?
もしもそうだとすれば、その事が吉良吉影が川尻浩作になりすますことの難度を下げていたということになるでしょう。
妻・しのぶの友人たちが、しのぶと結婚する前の川尻浩作のことを「物静かでステキ!」と言っていたということ(ジョジョの奇妙な冒険40巻 吉良吉影の新しい事情 その①)からもその可能性は高いように思えます。
吉良吉影の頭の回転の速さと対応力の高さ
仗助たちとの戦いぶりを見ていても吉良吉影が頭の回転が非常に速い男だということがわかります。
また、吉良吉影は平穏な生活を送るために目立つことを嫌い、自分の能力の高さを隠していますが、実は様々な分野での高い能力を有しています。
いきなり全くの他人になりすまし、職場の者から不審に思われないなど、いくら顔を完璧にその他人に変えてはいても、普通の人間にはなかなかできないことでしょうが…
吉良吉影は、その頭の回転の速さと何事も高いレベルでこなせる能力をベースにした対応力の高さによって、それを成し遂げていたのではないでしょうかね?
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※この記事は集英社刊ジャンプコミックス・荒木飛呂彦著「ジョジョの奇妙な冒険」1~63巻を資料にしています。
本文中( )内にジョジョの奇妙な冒険○巻 ○○○とある場合は該当巻・該当話を参照したことを意味します。