我妻善逸は鬼殺隊が存続していたら柱になっていたか? 鬼滅の刃考察
上弦の陸となった獪岳を一人で倒していた我妻善逸
我妻善逸は無限城を舞台にした鬼殺隊と鬼舞辻無惨や上弦の鬼たちとの最終決戦の際に上弦の陸となっていた元兄弟子=獪岳と一対一(サシ)で戦い…
自分で独自に考え、生み出した「雷の呼吸 漆の型 火雷神(ほのいかづちのかみ)で獪岳を倒していました。(鬼殺の刃17巻 第143話~第146話)
上弦の鬼を一人だけで倒したのは霞柱・時透無一郎と我妻善逸だけ!
胡蝶しのぶによれば上弦の鬼の強さは「柱三人分の力」に匹敵するということでしたから(鬼滅の刃19巻 第162話)それも当然なのかもしれませんが…
獪岳以外の上弦の鬼たちは、霞柱・時透無一郎に倒された上弦の伍・玉壺以外は、皆、複数の者達によって倒されています。
■上弦の壱・黒死牟=霞柱・時透無一郎 風柱・不死川実弥 岩柱・悲鳴嶼行冥
■上弦の弐・童磨=蟲柱・胡蝶しのぶ 栗花落カナヲ 嘴平伊之助
■上弦の参・猗窩座=水柱・冨岡義勇 竈門炭治郎
■上弦の肆・半天狗=恋柱・甘露寺蜜璃 竈門炭治郎 竈門禰豆子 不死川玄弥
■新上弦の肆・鳴女=恋柱・甘露寺蜜璃 蛇柱・伊黒小芭内
■上弦の陸・妓夫太郎・堕姫=音柱・宇髄天元 竈門炭治郎 竈門禰豆子 我妻善逸 嘴平伊之助
といったようにですね。
こうして改めて振り返ってみますと…
いかに獪岳がなりたての上弦だったとはいえ、「伍」も欠番となっていたのにも拘わらず『陸』となっていたとはいえ、それでも上弦の鬼たちの中に名を連ねていたのは確かなわけですから…
曲がりなりにも上弦に名を連ねていた獪岳を我妻残逸が一人だけで倒したという事が、いかに凄いことだったか、高く評価されるべき事だったのかがわかってきますね!
鬼殺隊は解散したが…
鬼舞辻無惨を滅することができたので鬼殺隊は解散しましたが…(鬼滅の刃23巻 第204話)
もしも鬼殺隊が解散せず、その後も存続していたとしたら、上弦の陸・獪岳を一人で倒すという大金星をあげた我妻善逸は、柱になることができたでしょうか?
雷の呼吸の使い手が柱になった場合は鳴柱と呼ばれることになりますが…
もしも鬼殺隊が存続していたら、我妻善逸が鳴柱になることができたのか、それともできなかったのかを考えていってみましょう!
我妻善逸は鬼殺隊が存続していたら柱になれた?なれない?
我妻善逸は柱になるための条件を満たしていた!
「鬼滅の刃」11巻に掲載されている「鬼殺隊QアンドA」で柱になるための条件が
■十二鬼月を倒す
■鬼五十体を倒す
といったものだと明かされていました。
ということは… 一対一(サシ)で戦い、上弦の陸・獪岳を倒した我妻善逸は、この条件を完璧にクリアしているということになりますね!
柱となるには我妻善逸の強さにはムラがありすぎ!?
確かに我妻善逸は、十二鬼月を倒すという柱になるための条件をクリアはしていました。
それは間違いありません。
ですが… 我妻善逸が、常に上弦の陸・獪岳を倒した時のような強さを発揮できていたかというと、それは大いに疑問ですよね?
というか… 絶対に普段の我妻善逸は、獪岳を倒した時の強さを発揮してはいなかったと言っていいでしょう!
獪岳と戦った時は、大恩ある爺ちゃん=師である元鳴柱・桑島慈悟郎を死へと追いやった獪岳への怒りと…
絶対に獪岳は自分の手で倒さなければならないという責任感から持てる力の全て(あるいはそれ以上?)のものを我妻善逸は出しきっていたのだと思います。
ですが… 我妻善逸がそこまでの強さを発揮したのは後にも先にもあの時だけだったのではないかと思えますよね?
ですから… 普段の我妻善逸の強さが柱のそれに相応しいものだったかというと、それは大いに疑問です!
もしも、獪岳を倒した時のレベルの強さをコンスタントに発揮できるようになっていたら我妻善逸は、文句なしに柱になれたのではないかと思いますが…
逆の言い方をすれば、獪岳を倒した時のレベルの強さをコンスタントに発揮できない限り、我妻善逸は柱にはなれなかったのではないでしょうか?
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※この記事は集英社刊ジャンプコミックス・吾峠呼世晴著「鬼滅の刃」1~23巻、「鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録」、「鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録・弐」などを資料にしています。
本文中( )内に鬼滅の刃○巻 第○話とある場合は該当巻・該当話を参照したことを意味します。