鬼滅の刃考察 甘露寺蜜璃が新体操を柱稽古に取り入れている件について考える
鬼たちとの総力戦の前に実施された特別な訓練=柱稽古
日の光を克服した禰豆子を鬼舞辻無惨が狙ってくるために鬼たちとの総力戦が間近に迫っていることを知った鬼殺隊は…
柱より下の階級の者たちが、柱のところを順番に巡り、稽古をつけてもらうという特別な合同強化訓練=柱稽古を実施しました。(鬼滅の刃15巻 第130話~)
そして、その柱稽古の内容は
・元音柱=宇髄天元の指導による基礎体力向上
・霞柱=時透無一郎の指導による高速移動の稽古
・恋柱=甘露寺蜜璃の指導による地獄の柔軟
・蛇柱=伊黒小芭内の指導による太刀筋矯正
・風柱=不死川実弥の指導による無限打ち込み稽古
・岩柱=悲鳴嶼行冥の指導による筋肉強化訓練
といったものになっていました。(鬼滅の刃15巻 第130話~)
恋柱・甘露寺蜜璃の柱稽古には新体操らしきものが取り入れられていた
で… 今回、考えてみたいと思っているのは、この柱稽古の中の恋柱=甘露寺蜜璃による地獄の柔軟についてです。
甘露寺流の訓練を受ける者たちは、全員がレオタードのような服……というか、レオタードを身にまとわされ、音楽に合わせて踊らされたりしていましたが…(鬼滅の刃15巻 第132話)
どう見ても甘露寺流の訓練を受けた者がやらされていたのは、新体操にしか見えないものだったんですよね!
ですが… 「鬼滅の刃」の舞台となっている時代=大正時代には、まだ新体操なんていうものはなかったはずなんです!
ということは… 甘露寺蜜璃は、時代のはるか先をいく感覚の持ち主で、後の時代に誕生する新体操の動きを、大正時代に生み出していたという事になるのでしょうか?
それとも、そうではないのでしょうか?
考えていってみたいと思います!
甘露寺蜜璃が柱稽古に新体操を取り入れていたのはなぜだったのか?
「鬼滅の刃」の世界では新体操っぽい体操が既に存在していた!?
「鬼滅の刃」の舞台となっている世界では、既に大正時代に新体操っぽい体操が生み出されていて…
その動きを甘露寺蜜璃は、柱稽古の中に取り入れたという事が考えられるかもしれませんね!
私たちが住む世界では、本格的な競技としての新体操が誕生する以前からドイツでは、手具を使った体操が行われたりしていたようですが…
新体操が国際競技となったのは1963年(昭和38年)にブタペストで行われた世界選手権からで…
日本で新体操の競技会が初めて行われたのは、その5年後の1968年(昭和43年)の全日本新体操学生選手権からです。
そして… 女子新体操がオリンピックの正式種目となったのは1984年(昭和59年)のロサンゼルスオリンピックからでした。
ですが… 「鬼滅の刃」の部隊となっている世界では、私たちが住む世界よりも前から新体操っぽい体操が誕生していて…
甘露寺蜜璃は、それを柱稽古に取り入れたのかもしれません!?
身体の柔軟性を得るための動きを追及したら…
甘露寺蜜璃が、身体の柔軟性を得るためには、どのような運動をする事が有効であるかを考え、追及し…
その結果、辿り着いたものが、たまたま私たち現代人の目には新体操のように映るものだったということも考えられるかもしれません!?
「鬼滅の刃」の舞台となっている世界でも大正時代には、まだ新体操などという競技は生まれてはおらず…
私たち現代人の目には、新体操の動きをさせられているように見えた鬼殺隊の隊士たちは、実は世界中の誰よりも早く新体操的な動きをしていたという事なのかもしれませんね!?
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※この記事は集英社刊ジャンプコミックス・吾峠呼世晴著「鬼滅の刃」1~23巻、「鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録」、「鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録・弐」などを資料にしています。
本文中( )内に鬼滅の刃○巻 第○話とある場合は該当巻・該当話を参照したことを意味します。