鬼滅の刃考察 童磨、半天狗、玉壺 上弦にはサイコパスが多い!
童磨、半天狗、玉壺はサイコパスだった!
普通の人間が感じる喜び、悲しみ、怒りといったものを何も感じられず、人間の感情というものを理解できなかった上弦の弐・童磨
嘘つきで自分にとって都合がいいように事実、解釈をなんでも捻じ曲げてしまう歪んだ思考の持ち主だった上弦の肆・半天狗
常人には理解不能な独特すぎる美的感覚を持ち、その自分の美的感覚を理解できない者に対して腹を立て、理解できない者を見下す上弦の伍・玉壺
その異常ぶりは、三者三様でそれぞれ違ってはいましたが…
童磨、半天狗、玉壺は、皆、サイコパスと言っていいような異常な精神を持つ者たちでしたよね!
サイコパスとされる者の持つ特徴
サイコパスとされる者の特徴として挙げられているのは
■自分に絶対的な自信を持っていて、他者からはそれが魅力的に見えることもある
■他者の気持ちがわからず、他者に共感することができない
■嘘を年中つく
■盗みなどを常習的に繰り返す
■どんな時も悪いのは自分ではなく、他者であると信じ込んでいる
■無責任である
■悪いことをしても良心の呵責がない
などなどといったことですが…
これって、童磨、半天狗、玉壺にズバズバと当てはまっちゃいますよね!
サイコパスの特徴のそれぞれが、いかに童磨、半天狗、玉壺に当てはまっていたかを検証していってみましょう!
童磨、半天狗、玉壺がいかにサイコパスだったか!
自分に絶対的な自信を持っていて、他者からはそれが魅力的に見えることもある
童磨と玉壺が、これに該当しますね!
童磨が自分に絶対的な自信を持っている事は、猗窩座に対するイヤミな物言い、しのぶやカナヲに対して話していた内容からよくわかりましたよね!
また、童磨が、鬼となった後もずっと万世極楽教の教祖でい続けることができたのも、童磨が自分に絶対の自信を持ち、信者たちからは、そんな彼が神のように見えたからこそだったのかもしれませんね?
そして、玉壺は、奇天烈で独特すぎる美的感覚の持ち主でしたが、その奇天烈で独特な美的感覚に絶対の自信を持ち、自分が一流の芸術家であると信じ込んでいました!
他者の気持ちがわからず、他者に共感することができない
これにもろに該当するのは、なんといっても童磨です!
なにしろ童磨は、カナヲから
「貴方何も感じないんでしょ?」
「この世に生まれてきた人たちが当たり前に感じている喜び 悲しみや怒り 体が震えるような感動を 貴方は理解できないんでしょ?」
「でも貴方は頭が良かったから 嘘を吐いて取り繕った 自分の心に感覚がないって ばれないよう楽しいふり悲しいふり」
「貴方には嬉しいことも楽しいことも苦しいこともつらいことも本当はからっぽで何にもないのに」
「滑稽だね 馬鹿みたい」
と言われてしまっていましたからね!(鬼滅の刃18巻 第157話)
ですから、「他者の気持ちがわからず、他者に共感することができない」というサイコパスの特徴にズバリ合致するのは童磨ですが…
半天狗や玉壺が、ちゃんと他者の気持ちがわかり、共感することができるかというと… そうではないでしょうね!
嘘を年中つく
これにもろに該当するのは、なんといっても半天狗です!
半天狗は、幼少期からずっと嘘ばかりついてきたようですが…
おそらく半天狗は、嘘をついているという自覚すらなく、嘘をついてきた天性の嘘つきで、そうなったのはサイコパスだったためなのでしょう!
盗みなどを常習的に繰り返す&どんな時も悪いのは自分ではなく、他者であると信じ込んでいる&無責任である
これに該当するのも半天狗ですね!
半天狗が嘘をつきまくり、盗みをしまくったのは、悪いのは自分ではなく、他の者たちだという被害者意識に凝り固まった身勝手で歪んだ思考回路のためで…
つまりはサイコパスだったためということになるのでしょう!
悪いことをしても良心の呵責がない
これには、童磨、半天狗、玉壺の三者全員が該当しますね!
そもそも彼らは、悪いことをしているとは全く思わずに悪いことをしていたのだから、当然です!
特に童磨は、自分が食べてあげることによって人間を救済してあげているつもりでいたのですから、タチが悪いです!
そして… 童磨、半天狗、玉壺以上に良心の呵責などそれこそ全くなく、悪いことをし続けてきたのが、鬼舞辻無惨ですね!
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※この記事は集英社刊ジャンプコミックス・吾峠呼世晴著「鬼滅の刃」1~23巻、「鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録」、「鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録・弐」などを資料にしています。
本文中( )内に鬼滅の刃○巻 第○話とある場合は該当巻・該当話を参照したことを意味します。