呪術廻戦考察 五条悟と乙骨憂太の先祖は日本三大怨霊・菅原道真
五条悟と乙骨憂太の共通の祖先・菅原道真
五条悟は、呪術界の名門である御三家の一つ五条家の生まれですが…
五条家の先祖は、日本三大怨霊の一人として有名な菅原道真です。
そして、乙骨憂太もまた菅原道真の子孫であるということが、調査の結果、判明していましたので…
五条悟と乙骨憂太は、超遠縁ではありますが、親戚でした。(呪術廻戦0巻 最終話)
菅原道真は日本三大怨霊
「呪術廻戦」の世界の中では菅原道真は超大物呪術師だったということになっていますが…
呪術師であったかどうかはともかく、菅原道真が日本三大怨霊の一人として有名なのは事実です。
では… 平安時代の貴族であり学者でもあった菅原道真が、「学問の神様」として崇められる一方で日本三大怨霊の一人と呼ばれるようになってのは、いったいなぜだったのでしょうか?
菅原道真は学問の神様にして日本三大怨霊の一人
右大臣まで昇りつめた後に左遷された菅原道真
菅原道真は、右大臣にまで昇りつめましたが、その後、天皇を惑わせたなどと言われ、左遷されてしまいます。
どうやら当時の貴族たちの多くが右大臣にまで昇りつめた菅原道真のことを快くは思っておらず…
彼らに足を引っ張られた結果の失脚だったようですね。
そして、九州へと送られた菅原道真は、政務にあたることを禁じられ、収入を得ることもできなくなり、無念のまま、その生涯を終えました。
日本三大怨霊の一人と菅原道真が呼ばれるようになったのは…
菅原道真を右大臣の座から失脚させ、九州に追いやった者達ですが…
道真が亡くなった後、病死する者、不幸な事故で亡くなる者が相次いで出ました。
これが、道真の怨霊の仕業と考えられ、怨霊の怒りを鎮めるため、既に故人となっている道真の地位が右大臣に戻されました。
落雷によって要人たちが亡くなったことも怨霊・菅原道真の仕業に
菅原道真が亡くなってから二十数年後に平安京の中で朝廷の要人たちが会議を行っていたところに雷が落ち、要人に多くの死傷者が出ました。
そして、この落雷を目撃した醍醐天皇もその後、体調を崩し、そのまま崩御しました。
この落雷も菅原道真の怨霊の仕業だと考えられ…
後に亡き菅原道真に左大臣、太政大臣の地位が贈られました。
日本三大怨霊 菅原道真以外の二人は…
なお、菅原道真とともに日本三大怨霊とされているのは
■平将門=平安時代中期の関東の豪族 朝廷の天皇に対し、新皇を名乗り、朝敵となり討伐された
■崇徳天王=保元の乱で後白河天皇に敗れた の二人で…
それぞれ様々な怨霊伝説があります。
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※この記事は集英社刊ジャンプコミックス・芥見下々著「呪術廻戦」1~18巻、「呪術廻戦0巻 東京都立呪術高等専門学校」「呪術廻戦公式ファンブック」、週刊少年ジャンプなどを資料にしています。
本文中( )内に呪術廻戦○巻 第○話とある場合は該当巻・該当話を参照したことを意味します。