呪術廻戦考察 羂索が美しい土下座を20代後半で修得していた事について考える
髙羽史彦が羂索に対して土下座を!
「呪術廻戦」第240話で髙羽史彦は、お笑いの専門家・評論家のようにロジカルに自分のギャグに対してダメ出しをした羂索に対して
「じゃかしゃあっ!! 舞台に立ったこともねぇ玄人気取りの素人が!! オマエにウケなくったって オマエ以外にウケたら関係ねーんだよ!!」
と言い放っていましたが…
「呪術廻戦」第241話では、いろいろな事を考えた末に羂索に対してこう言ってしまった事を反省した髙羽史彦が、土下座をして羂索に謝っているみたいです!
土下座をした髙羽史彦を見て羂索が…
そして、それを見た羂索が、髙羽史彦の土下座は美しい本気の土下座だと思い、羂索自身が、その域に達したのは20代後半になってからだったと思っているみたいですが…
そう思っていたということは… 羂索は、20代後半には、美しい土下座の仕方を修得していたという事になりますね!
これまでに「呪術廻戦」作品中で羂索が土下座をしていたことなど一度もなかったと思いますが…
実は羂索は、美しい土下座の仕方を修得していたみたいですね!
では… 20代後半の頃になぜ羂索は美しい土下座の仕方を修得していたのでしょうか?
考えていってみたいと思います!
20代後半の羂索が美しい土下座を修得していたのはなぜだったのか?
必要がなければ美しい土下座の仕方など修得しないはず
当たり前の事ですが… 美しい土下座の仕方など必要性がなければ、修得しないはずですよね?
ですから、20代後半の頃の羂索が、美しい土下座の仕方を修得したのは、それを修得する必要性があったからなのでしょう。
では… 美しい土下座の仕方を修得する必要性があるのは、いったいどんな時ということになるでしょうか?
羂索が美しい土下座を修得する必要にかられたのは?
羂索が20代後半だった頃というのは、約1000年前の平安時代であり、呪術全盛の頃だったはずですね!
呪術全盛の時代ですから、その中でも最強は宿儺だったとしても宿儺以外にも強大な力を持つ呪術師は、たくさんいたはずです。
そんな中で生き残っていくためには、時には敵わなぬ相手に謝り、負けを認め、命を奪われるのを逃れる必要性があったのではないでしょうかね?
そして、相手から見逃してもらうために美しい土下座をする事が有効な手段になるのだとしたら…
そのために… つまりは、呪術全盛の時代の中で生き延びていくために羂索は。美しい土下座の仕方を修得したということになりそうですね!?
したたかな羂索は土下座をして生き延びる事を恥だとは思っていない!?
もしも、そのとおりだったしたら… したたかな羂索は、おそらく土下座をして生き延びる事を恥ずかしいとは全く思ってはおらず…
土下座でも何でもして、とにかく生き延びる事が大事であり、結局は生き延びた者が勝ちなのだと思っているのではないでしょうかね?
羂索はもしかしたら宿儺に対しても土下座をしたのかも!?
約400年前、呪物となる前の鹿紫雲一から「羂索…… 貴様の知る最強の術師は?」と問われた時に羂索は
「宿儺だ 600年も前で申し訳ないが これは譲れない」
と応えていました。(呪術廻戦21巻 第187話)
宿儺が史上最強の術師であり、呪いの王でもあるわけですから、羂索が、こう応えていたのは当たり前なのかもしれませんが…
羂索自身が、宿儺と戦い、身をもって宿儺の最強ぶりを知ったことがあったからこそ、このように応えていたのではないかとも考えられなくもありませんね!
そして… もしも本当に羂索が宿儺と戦ったことがあったのだとしたら…
羂索は宿儺に対し、美しい土下座をし… 宿儺から命を奪われることを免れていたのかもしれないですね?
羂索が過去に二度、六眼の術師に敗れ、生き延びているのも…
羂索が宿儺と戦ったことがあるかどうかは定かではありませんが…
羂索が、過去に二度、六眼の術師と戦って敗れている事は判明しています。(呪術廻戦17巻 第145話)
それにも拘わらず、羂索が生き延びているのは… もしかしたら羂索が、六眼の術師に敗れた時に美しい土下座をして命乞いをしたためだったのかもしれませんね?
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魔虚羅に六眼持ちの無下限呪術使いがなぜ敗れた?|呪術廻戦考察
※この記事は集英社刊ジャンプコミックス・芥見下々著「呪術廻戦」1~24巻、「呪術廻戦0巻 東京都立呪術高等専門学校」「呪術廻戦刃公式ファンブック」、週刊少年ジャンプなどを資料にしています。
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