鬼舞辻無惨は傲慢この上ないのに奢ってはいない? 鬼滅の刃考察
傲慢この上ない鬼舞辻無惨
鬼舞辻無惨が、傲慢この上ないことは間違いありませんよね!
なにしろ鬼舞辻無惨は、最終決戦の舞台となった無限城の中で竈門炭治郎、冨岡義勇と対峙した際に
「お前たちは本当にしつこい 飽き飽きする 心底うんざりした」
「口を開けば親の仇 子の仇 兄弟の仇と馬鹿の一つ覚え」
「お前たちは生き残ったのだから それで充分だろう」
「身内が殺されたから何だと言うのか 自分は幸運だったと思い元の生活を続ければ済むこと」
「私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え 何も難しく考える必要はない」
「雨が風が山の噴火が大地の揺れが どれだけ人を殺そうとも天変地異に復讐しようという者はいない」
「死んだ人間が生き返ることはないのだ いつまでもそんなことに拘っていないで日銭を稼いで静かに暮らせば良いだろう」
などと言って炭治郎を憤慨させているのです。(鬼滅の刃21巻 第181話)
多くの不幸を人間社会にまき散らしておきながら「「私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え」などと言い出すとは…
そのあまりの傲慢ぶりに炭治郎のように家族の命を鬼舞辻無惨に奪われたわけではなくても私なんぞは思わず憤慨しまくってしまいました!
人間を完全に超えた存在=超越者であるとでも己惚れていなければ、「私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え」などという台詞は出てこないものですよね!
傲慢ではあっても奢ってはいない鬼舞辻無惨
鬼舞辻無惨は確かに傲慢だが、それでいて奢ってはいない!
鬼舞辻無惨が傲慢この上ないことは間違いないわけですが…
矛盾することを言うようになりますが、鬼舞辻無惨が必ずしも己の力を奢ってはいないこともまた確かです。
なぜならば、鬼舞辻無惨は、自分を圧倒する力を持っていた継国縁壱のことを思い浮べながら
「本当の化け物は あの男だ 私ではない」
と心の声で言っていましたからね。(鬼滅の刃22巻 第195話)
もしも鬼舞辻無惨が、傲慢で奢りきっていたら、縁壱の力には自分の力が及ばなかったことを置いておき…
■結局、縁壱は自分を滅することはできなかった
■人間である縁壱は、老いて亡くなった
ということに重きを置き、生き残った自分の方が優れていたのだと思っていたのではないでしょうか?
ですが、実際には鬼舞辻無惨は、そうは思わず、自分をも圧倒する力を持っていた縁壱のことを認め「本当の化け物は あの男だ 私ではない」と思っていたのですから…
あれだけ傲慢ではあっても客観性は失っておらず、常に自分のことを冷静に見ていて、けっして奢ってはいないと言えるでしょう!
※この記事は集英社刊ジャンプコミックス・吾峠呼世晴著「鬼滅の刃」1~23巻、「鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録」、「鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録・弐」などを資料にしています。
本文中( )内に鬼滅の刃○巻 第○話とある場合は該当巻・該当話を参照したことを意味します。