パンダとゴリラお兄ちゃん・照れ屋なお姉ちゃんとの別れ 呪術廻戦考察
パンダとゴリラお兄ちゃん・照れ屋なお姉ちゃんの別れが描かれていたが…
週刊少年ジャンプ2022年25号に掲載された「呪術廻戦 第185話」ではパンダとゴリラお兄ちゃん・照れ屋なお姉ちゃん(トリケラトプスなんでしょうか?)の別れが描かれていましたが…
これって、いったい何だったのでしょう?
ゴリラお兄ちゃんと照れ屋なお姉ちゃんがパンダとの別れをどう感じていたかなのか?
描かれていたパンダとゴリラお兄ちゃん・照れ屋なお姉ちゃんの別れが何だったのかを解釈するのが、ちょっと難しいですが…
鹿紫雲一との戦いでゴリラ核とお姉ちゃん核が破壊されてしまい…
今までパンダの中にいたゴリラお兄ちゃんと照れ屋なお姉ちゃんが、パンダと別れなければならなくなってしまい…
その事をゴリラお兄ちゃんと照れ屋なお姉ちゃんがどう感じていたのかが描かれていたのでしょうか?
パンダの中に生じた疑似記憶だったのか?
それとも、ゴリラお兄ちゃんと照れ屋なお姉ちゃんと別れなければならなくなってしまったパンダの中に生じた疑似記憶が描かれていたのでしょうか?
かつて東堂や張相が、虎杖についての存在しないはずの記憶を生じさせていたのと同じように…
ゴリラ核とお姉ちゃん核を鹿紫雲に破壊されてしまったパンダが、ゴリラお兄ちゃんと照れ屋なお姉ちゃんについてのこれまでは存在しなかった記憶を急激に生じさせていたのでしょうか?
今回は、この件について考えていってみたいと思います。
第185話で描かれたパンダとゴリラお兄ちゃん・お姉ちゃんとの別れは何だったのか?
パンダはゴリラお兄ちゃんと照れ屋なお姉ちゃんの記憶を持っていなかった!
呪骸であるパンダを作った夜蛾正道は、命尽きる直前に楽巌寺嘉伸に
「肉体の情報から魂の情報を複製するんです その情報を呪骸の核に入力する」
「それだけでは駄目なんです 相性の良い三つの魂を宿した核を一つの呪骸に… お互いの魂を常に観測させるんですよ」
「そうすることで初めて魂が安定して自我が芽生える 生後3ゕ月を過ぎたあたりで呪力の自己補完を始めます」
と自分がいかにして完全自立型人工呪骸であるパンダを作ったのかということを明かしていました。(呪術廻戦17巻 第147話)
この事によってパンダが、ゴリラ核に宿った魂・お姉ちゃん核に宿った魂と観測しあったことによって自我を芽生えさせた事がわかりました。
ですが、パンダは、元々ゴリラお兄ちゃんと照れ屋なお姉ちゃんの記憶を持ってはいませんでした。
成長途上だったパンダ(子供時代と言っていいのでしょうか?)と夜蛾が
夜蛾:「パンダ オマエにはお兄ちゃんとお姉ちゃんがいるんだ」
パンダ:「いませんけど」
夜蛾:「いや いる オマエの中にな」
パンダ:「俺の中…?」
夜蛾:「あぁ いつか分かるさ その2人はいつだって力を貸してくれる」
といったやりとりをしていた事がありましたからね。(呪術廻戦5巻 第39話)
ですから、その後、メインの核を入れ替えることによってゴリラモードやお姉ちゃんモードを使えるようになったパンダですが…
少なくともある時期までは、ゴリラお兄ちゃんや照れ屋なお姉ちゃんの記憶を持っていなかった事は間違いありません。
ゴリラお兄ちゃんと照れ屋なお姉ちゃんはパンダの記憶を持っていた!?
ですが… パンダの中に宿っていたゴリラお兄ちゃんの魂と照れ屋なお姉ちゃんの魂は、自分たちが、パンダのお兄ちゃんやお姉ちゃんとしてパンダと共に過ごした記憶を持っていて…
鹿紫雲によって自分たちの魂が宿った核が破壊されてしまい、パンダとの別れの時がきてしまった事を「呪術廻戦 第185話」に描かれていた内容のように感じとっていたのでしょうか?
それとも、これまではパンダと共にすごした記憶など持っていなかったゴリラお兄ちゃんの魂と照れ屋なお姉ちゃんの魂が…
自分たちの魂が宿った核を鹿紫雲に壊されてしまった後、急速に芽生えさせた、これまでは存在していなかった記憶が「呪術廻戦 第185話」に描かれていた内容だったのでしょうか?
それともそれとも、「呪術廻戦 第185話」に描かれていたのは、ゴリラ核とお姉ちゃん核を破壊された後、急激にパンダの中に生じたゴリラお兄ちゃんと照れ屋なお姉ちゃんの記憶だったのでしょうか?
もしかしたら、何が正解なのかが明示されることはなく、解釈は読者一人一人に委ねられるのかもしれないですね!?
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※この記事は集英社刊ジャンプコミックス・芥見下々著「呪術廻戦」1~19巻、「呪術廻戦0巻 東京都立呪術高等専門学校」「呪術廻戦刃公式ファンブック」、週刊少年ジャンプなどを資料にしています。
本文中( )内に呪術廻戦○巻 第○話とある場合は該当巻・該当話を参照したことを意味します。