呪術廻戦考察 虎杖悠仁と播磨の呪術師・蘆屋道満の関係はどんなものなのか?
虎杖悠仁を見ながら「ほらいただろ!! あの播磨の!!」「似てるだろう!?」と言っていた宿儺
伏黒恵の肉体を乗っ取ったばかりの宿儺が、伏黒恵の抵抗に遭って呪力出力が落ちてしまっていた時、宿儺と戦っていた虎杖悠仁と禪院真希を裏梅が「霜凪」によって凍結させましたが…
裏梅が気を使い、「宿儺の器」であったために凍結を弱めたためもあってか、虎杖悠仁はすぐに凍結を破り、宿儺を追いかけてこようとしました。
その時に宿儺と裏梅が、虎杖悠仁のことを見ながら
裏梅:「殺しますか?」
宿儺:「待て待てよく見ろ 笑えるぞ なんと情けない ほら いただろ!! あの播磨の!!」
裏梅:「確かに…… 口元が特に フッ」
宿儺:「似てるだろう!?」
といったやりとりをしていました。(呪術廻戦24巻 第215話)
播磨の呪術師といえば蘆屋道満
現在の兵庫県の一部が昔は播磨と呼ばれていましたが…
その播磨で呪術関係で有名なのは、なんといっても蘆屋道満(あしやどうまん)ですね!
蘆屋道満は平安時代の陰陽師で、かの有名な安倍晴明(あべのせいめい)のライバルとして有名です。
格子状の魔除けの印=ドーマンの名は、蘆屋道満の名が元になっていると言われていますし…
星型の魔除けの印=ドーマンセーマン(セーマンドーマンとも呼ばれています)の名は蘆屋道満と安倍晴明の名が元になっていると言われています。
播磨の呪術関係者で最も有名なのが、この陰陽師=呪術師・蘆屋道満で…
しかも、その蘆屋道満が生きた時代が、宿儺が最強を誇っていた平安時代ということになってきますと…
宿儺が「ほらいただろ!! あの播磨の!!」と言い、虎杖悠仁に「似てるだろう!?」と言っていたのは、この蘆屋道満のことだと考えていいのではないかと思えますね!
虎杖悠仁と播磨の呪術師・蘆屋道満 その関係はいったいどんなものなのか?
虎杖悠仁は播磨の呪術師・蘆屋道満の子孫?
虎杖悠仁と平安時代の播磨の呪術師・蘆屋道満が似ているらしいとなってきますと…
まず真っ先に思い浮かぶのは、虎杖悠仁が平安時代の播磨の呪術師・蘆屋道満の血を引く者=蘆屋道満の子孫なのではないかということですよね!
乙骨憂太は菅原道真(すがわらのみちざね)の子孫だということが判明しているわけですから…(呪術廻戦0巻 最終話)
虎杖悠仁が蘆屋道満の子孫であったとしても全く不思議ではありません。
虎杖悠仁が、羂索によって意図的に生み出された「宿儺の器」ですが…
羂索は蘆屋道満の血を引く者を探し出し、「宿儺の器」である虎杖悠仁を生み出したのかもしれませんね。
虎杖仁か虎杖香織がたまたま播磨の呪術師・蘆屋道満の子孫だった?
羂索が体を乗っ取った虎杖香織は、術式「反重力機構」(アンチグラビティシステム)を持つ術師だったようですが…
羂索が「宿儺の器」を生み出すのに虎杖香織の肉体を利用するようにしたのは、術式「反重力機構」を持っていた彼女の肉体が「宿儺の器」を生み出すのに適したものだったためであり…
虎杖悠仁の父親である虎杖仁か虎杖香織のどちらかが播磨の呪術師・蘆屋道満の子孫だったのは、たまたまそうだっただけだけであり…
羂索は、意図して「宿儺の器」を蘆屋道満の子孫にしたわけではなかったということも考えられるかもしれません。
虎杖悠仁は播磨の呪術師・蘆屋道満の子孫ではなく…
虎杖悠仁が蘆屋道満の子孫だったとしても平安時代から現在までの約千年もの時を隔てた子孫ともなれば、蘆屋道満の血は非常に薄くなってしまっているはずで…
虎杖悠仁の顔が蘆屋道満に似たものになることはなかったかもしれません!
ですから、彪杖悠仁は蘆屋道満の約千年の時を隔てた子孫ではなく…
羂索が、特別な方法を用いて、平安時代の播磨の呪術師・蘆屋道満のクローン的なものを生み出したのが、虎杖悠仁だということもあり得そうな気がします!
【呪術廻戦考察のその他の記事】
呪術廻戦239話ネタバレ考察|髙羽史彦VS羂索が岩手で始まる
宿儺が五条悟と対決中に本来の姿に戻らなかった理由|呪術廻戦考察
呪術廻戦238話ネタバレ考察|虎杖と日車のタッグが宿儺に挑む
※この記事は集英社刊ジャンプコミックス・芥見下々著「呪術廻戦」1~24巻、「呪術廻戦0巻 東京都立呪術高等専門学校」「呪術廻戦刃公式ファンブック」、週刊少年ジャンプなどを資料にしています。
本文中( )内に呪術廻戦○巻 第○話とある場合は該当巻・該当話を参照したことを意味します。